燃えるぜ!人生珍道中旅日記:介護実習ズドン!
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いつの日か報われるだろう
そう信じて人は歩いていく
そう信じて
幾つもの困難を 間違いを繰り返す
いつの日か独り召されるだろう
それを怖れて人は拒み続ける
それを怖れて
幾つもの愛を 祈りを繰り返す
しかし怖れず
今はそれを受け入れよう
必死に生きた報いとして
死は優しく包み込むから
はい、どうも〜^^
40℃強の熱出してたacetoneですよ〜。
ただいま!
と、唐突に帰りの挨拶を決めてみたわけですが。
実は、この一週間、介護実習で福祉施設のほうにお世話になっていたのです。
その施設では、知的障害者(以降、利用者)の方々が、施設の請け負った仕事したり、他の人達と接したりしているのですが、
一週間、実習に行かせて戴いて、本当に勉強になることばかりでした。
正直、自分はこの実習に行かせてもらうまで、知的に障害を持った人達に一部偏見を持っていました。
駅のホームで歌っている人。
何もないのに毎朝道端に出て独り言を延々と呟き続けている人。
挙動がおかしく、自分の動かしている指をじっと見つめている人。
そんな人々に街中で出会ったとき、「おかしい人達だ」「きっと何も考えてはいない」
いくら打ち消そうとしてもそんな言葉が脳裏をよぎってしまう自分、「まあそんな人達もいるだろう」の言葉で片付けてしまう自分がそこにいた。
自分の言った施設では、利用者の方が30人近くいらっしゃって、それぞれが違った障害を持っておられ、それぞれのこだわりや日課を持って生活しておられました。
最初に彼らの生活する部屋を見た時、正直一週間やっていけるかどうか心配でした。
しかし、実際彼らと接してみると、むしろ彼らの方から積極的に話しかけてこられる方さえいらっしゃって、非常に親しくしてもらいました。
勿論、物静かで自分から話に来られない方もいらっしゃいましたが、一緒に作業をしている時に話しかけたり、休み時間に一緒に活動してみたりと、色々と働きかけてみるとちゃんと反応を返してくれました。
そうして、利用者の方々と接しているうち、いつしか自分の偏見は消えていました。
自分は気づきました。
彼らは何も考えていないわけじゃない。
彼らも様々な考えの下に行動しているのだ。
駅のホームで歌っている人も、
道端で独り言を呟いている人も、
指をじっと見つめている人も、
それぞれ何かの考えの下に行動しているのだ。
ただ、私たちより障害が少し大きいために、日常生活に支障が出て、
少しこだわりを持った、周りからは理解されない行動をとってしまうだけ。
話しかけても『あー』などの発音でしか返してこない人も、話しかける言葉や、その時によって返ってくる言葉は違うし、数個の単語ではあるが『行こう』などのはっきりとした言葉で返してくる場合もある。
『今日は陽射しが気持ちいいですね』と言葉をかけると、
この上ない笑顔で返してくれる。
彼らは私たちの言葉をわかっている。
勿論、難しい言葉や文法などは分からないかもしれない。
しかし、簡単で端的な言葉は、たとえその人の反応がなかったとしても、おそらくは分かっている。
そんなことに気づいた介護実習後半からは、むしろこちらから積極的に利用者の方一人ひとりに話しかけに行きました。
最初は分からなくても、少し接して話しかけているうちに、その人が何を考えているかが鮮明には分からないものの、その時の機嫌やYesかNoかくらいは分かるようになりました。
そうして話しかけていると、利用者の方が自分の名前を聞いてくださり、そのうちの何人かは、自分の名前を覚えてくれました。
名前で呼び合えること、それはお互いの意思が通じ合えたこと。
些細なことですが、自分はそのことに大きな感動を覚えました。
5日間という短い期間でしたが、本当に学ばせてもらうことばかりでした。
日常では到底出来ない経験が、そこにありました。
この経験は、そのような場所だけでなく、自分の今までの、そしてこれからの人生全体において非常に有益な経験となった、そんな気がします。
そこの施設では、常時ボランティアを受け付けているということなので、暇が出来れば是非、また行かせていただきたいと思っております。
はい、体調崩して下痢が未だに続いているacetoneでした〜^^
そう信じて人は歩いていく
そう信じて
幾つもの困難を 間違いを繰り返す
いつの日か独り召されるだろう
それを怖れて人は拒み続ける
それを怖れて
幾つもの愛を 祈りを繰り返す
しかし怖れず
今はそれを受け入れよう
必死に生きた報いとして
死は優しく包み込むから
―――「きみをうちにむかえいれよう」
はい、どうも〜^^
40℃強の熱出してたacetoneですよ〜。
ただいま!
と、唐突に帰りの挨拶を決めてみたわけですが。
実は、この一週間、介護実習で福祉施設のほうにお世話になっていたのです。
その施設では、知的障害者(以降、利用者)の方々が、施設の請け負った仕事したり、他の人達と接したりしているのですが、
一週間、実習に行かせて戴いて、本当に勉強になることばかりでした。
正直、自分はこの実習に行かせてもらうまで、知的に障害を持った人達に一部偏見を持っていました。
駅のホームで歌っている人。
何もないのに毎朝道端に出て独り言を延々と呟き続けている人。
挙動がおかしく、自分の動かしている指をじっと見つめている人。
そんな人々に街中で出会ったとき、「おかしい人達だ」「きっと何も考えてはいない」
いくら打ち消そうとしてもそんな言葉が脳裏をよぎってしまう自分、「まあそんな人達もいるだろう」の言葉で片付けてしまう自分がそこにいた。
自分の言った施設では、利用者の方が30人近くいらっしゃって、それぞれが違った障害を持っておられ、それぞれのこだわりや日課を持って生活しておられました。
最初に彼らの生活する部屋を見た時、正直一週間やっていけるかどうか心配でした。
しかし、実際彼らと接してみると、むしろ彼らの方から積極的に話しかけてこられる方さえいらっしゃって、非常に親しくしてもらいました。
勿論、物静かで自分から話に来られない方もいらっしゃいましたが、一緒に作業をしている時に話しかけたり、休み時間に一緒に活動してみたりと、色々と働きかけてみるとちゃんと反応を返してくれました。
そうして、利用者の方々と接しているうち、いつしか自分の偏見は消えていました。
自分は気づきました。
彼らは何も考えていないわけじゃない。
彼らも様々な考えの下に行動しているのだ。
駅のホームで歌っている人も、
道端で独り言を呟いている人も、
指をじっと見つめている人も、
それぞれ何かの考えの下に行動しているのだ。
ただ、私たちより障害が少し大きいために、日常生活に支障が出て、
少しこだわりを持った、周りからは理解されない行動をとってしまうだけ。
話しかけても『あー』などの発音でしか返してこない人も、話しかける言葉や、その時によって返ってくる言葉は違うし、数個の単語ではあるが『行こう』などのはっきりとした言葉で返してくる場合もある。
『今日は陽射しが気持ちいいですね』と言葉をかけると、
この上ない笑顔で返してくれる。
彼らは私たちの言葉をわかっている。
勿論、難しい言葉や文法などは分からないかもしれない。
しかし、簡単で端的な言葉は、たとえその人の反応がなかったとしても、おそらくは分かっている。
そんなことに気づいた介護実習後半からは、むしろこちらから積極的に利用者の方一人ひとりに話しかけに行きました。
最初は分からなくても、少し接して話しかけているうちに、その人が何を考えているかが鮮明には分からないものの、その時の機嫌やYesかNoかくらいは分かるようになりました。
そうして話しかけていると、利用者の方が自分の名前を聞いてくださり、そのうちの何人かは、自分の名前を覚えてくれました。
名前で呼び合えること、それはお互いの意思が通じ合えたこと。
些細なことですが、自分はそのことに大きな感動を覚えました。
5日間という短い期間でしたが、本当に学ばせてもらうことばかりでした。
日常では到底出来ない経験が、そこにありました。
この経験は、そのような場所だけでなく、自分の今までの、そしてこれからの人生全体において非常に有益な経験となった、そんな気がします。
そこの施設では、常時ボランティアを受け付けているということなので、暇が出来れば是非、また行かせていただきたいと思っております。
はい、体調崩して下痢が未だに続いているacetoneでした〜^^