【〜迷信・怪〜調査同好会】偽シナ保管庫:温泉旅館の怪〜月を仰いだ日/リプレイ〜
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―出立―
花は散り葉桜となり、次第に夏の足音が聞こえ始めた温風が彼らを撫ぜる。
「おーし、今日は遊ぶぞー」
降り注ぐ陽光に、拝・玲於奈(ボク暴君・b02480)の握り締めた拳が高らかに掲げられた。
「『温泉旅館で謎の死』って、推理小説みたいですね〜。」
朗らかな陽射しを掌で遮ったミシェル・ローデリック(がんばる小学生・b03554)の顔も、幾分楽しげだ。
「幼稚園のお泊り会を思い出しますわね」
成瀬・双葉(小学生白燐蟲使い・b20530)は吹き来る過去の風に髪を流し、柔らかに、そしてどこか切なそうな表情で懐かしんでいた。
ブロロロロロロ……。
腹に響く特有のエンジン音と共に、貸切のマイクロバスが近付く。
その先に待ち受ける歓楽と驚異、そして彼らの座席を乗せて…。
―移動―
各々の大小不揃いな荷物をトランクに詰め込むと、マイクロバスは能力者たちを乗せ温泉旅館『月雲閣』への旅路を進む。
「…うぷっ…」
マイクロバスに揺られて早一時間、如月・那由(唯一つだけを愛す闇の詩人・b00564)は青ざめた表情で、額からは嫌な汗が流れていた。
「ふぅ…」
その一因として、黒夜・志貴(殺人鬼・b00375)と拝・徹斎雪影(影に罪を雪に償いを・b00601)の座る後方から漂い迫る大量の白煙があったことは言うまでもないだろう。
志貴の吹く独特の清涼臭と、徹斎の垂れ流す甘みのある香りが混ざり合い、開け放たれた窓からは火の手が上がっているかの如く煙が排出されている。
「ぐがががががが!ずび…ずぴー…ギリギリ…!」
盛大に打ち上げられる龍田・飛(飛天の臥龍玉・b16875)の大いびきは、那由の不快感に拍車をかける。
湧き上がる何か、しかしここで吐き出すわけにはいかない…!
強い意志と共に口元をしっかりと押さえ、彼は到着までの長い道のりを耐える。
「ん〜…ワレ奇襲ニ成功セリ…トラトラ…ヌコ…」
「…ヌコ!!?」
飛が突如として放った謎の寝言に、隣に座る龍田・蒼(蒼穹の龍炎・b14352)は無意識にツッコんでいた。
『月雲閣』まであと十分程度、退屈のなか軽くエコノミー症候群になりかけていた玲於奈も救われることだろう。
目的地まであと九分…八分…七分…。
…ガクン!!
到着まであと五分をきった頃、マイクロバスの車体が大きく上下する。
『月雲閣』は風情漂う情景を背に備えた露天風呂を誇る、山の頂上付近に位置する旅館であった。
…ガクン!!
山道を駆け上がる車輪が跳ね上がる。
…限界だった。
………!!
設置されたビニール袋に、周りの情景とある意味で調和した滝が現れる。
那由の隣で静かな寝息を立てている椎紫・羽音(快楽主義者・b16682)の寝顔は、何故か黒く微笑んで。
彼の羞恥と後悔に輪をかけた。
―月雲閣―
「お待ちしておりました、ようこそ月雲閣へ。」
旅館に到着した能力者たちに出迎えた女将が深々と頭を下げる。
「久しいね、徹斎君。」
その後ろに控え笑顔を向けた小太りの男は、此処の主人だろうか。
互いに挨拶を交わすと、徹斎は彼に歩み寄り世間話を始めた。
それはもう、延々と…。
一行が退屈を持て余し始めたのを見兼ね、女将がこっそりと鍵を手渡す。
「長旅お疲れ様でした。あの二人のことはお気になさらず、先に部屋でお休みになってください。」
『桜花の間』、『梅庵の間』、『雪月の間』。
そう書かれた鍵をそれぞれ蒼と飛、那由と羽音とミシェル、志貴が受け取った。
そして最後に、女将が着物の袖からもう一つの鍵を取り出す。
『旬悦の間』
「皆さん、詳しいことは分かりませんが、どうか宜しくお願いしますね。」
玲於奈と双葉にそれを手渡し、女将はもう一度深々と一礼した。
―露天風呂♪―
「うお〜!凄い凄い!!温泉っすよ!!」
飛が巨大な岩風呂とその背景に広がる山々の絶景に高らかに詠った。
飛に続いて蒼、双葉、玲於奈も湯煙の中から姿を現し、艶やかな肌にかけ湯を流すと静かな水音を立てて湯に浸った。
女将の勧めもあり早速温泉に向かった能力者たちであるが、何より探索をそっちのけでこちらに向かった背景。
『美肌効果』
その女将の一言が女性陣の心を強く動かした。
「…お肌、綺麗に…なる…。」
柔らかな芳香が湧く湯を手ですくい、肩から胸元にかけて流す蒼はこの日最初の微笑みを浮かべた。
敷居の向こう側、男湯でも面々は身に沁みる湯に旅の疲れを癒していた。
「良い湯だナァ♪」
口元まで深く浸かり水面にぶくぶくと泡を浮かべる那由は、マイクロバスでの醜態から心身ともに立ち直っていた。
「ぼく温泉旅館でお泊りってはじめてです。」
小さな身体を湯に埋(うず)めるミシェルも随分満足そうだ。
…ところで、男湯にはこの二人しか入っていない。
二人は心なしか寂しさを感じていた。
黒夜は温泉に向かう一行に「俺は昼にやかましく風呂に入るのは苦手だ」と言い残し、部屋に戻ったのだが。
羽音と徹斎は行方知れずだ。
確か、温泉に向かうためロビーを抜けたときまでは一緒だったのだが。
疑問を抱えつつも、那由とミシェルは心地よい硫黄の香りに身を包んだ。
所変わって男湯の暖簾(のれん)が下がる手前。
「お客様困ります!こちらは男湯で…」
羽音は若い女中に引き止められていた。
「…えー、僕ですかぁ?ふふっ、僕、男ですからーっ。…なんなら確かめます…?」
彼女の目に少女のような容姿をもった羽音は、男として写らなかった。
信じて疑わない女中に痺れを切らし、羽音は彼女の手を取り自らの股に持っていく。
「………。」
「ねっ♪」
女中は目を白黒させた後。
「お………怖ろしい子っ!!」
何処かで聞いたような台詞を吐き捨て、脱兎の如く逃げ去った。
所は戻り、女湯。
蒼の半開きの目は三点を行き来していた。
「姉貴、どうかしたんすか?」
妹の声は届かず、蒼の視線はくるくると円を描いて泳ぐ。
玲於奈の胸、飛の胸…そして自らの胸。
大、大、小。
蒼の小さな胸の内、やりきれない劣等感が湧き上がっていた。
飛は姉を苛(さいな)む感情に気付いたか。
「姉貴は貧弱っす♪」
「…!!」
妹の放った一言。
今の蒼にとって、それは『貧乳』としか聞こえなかった。
眼の内に怒りの炎が燈り、素早く指を組み合わせると水鉄砲で飛を攻撃する。
「うわっ」
襲いくる水圧は(蒼に比較して)豊かな胸元に弾かれ、蒼の心の傷は一層深まった。
「元気を出して下さい、女性は胸の大きさだけではありませんわ。」
「双葉ちゃん…。」
双葉が湯をかき分けて歩み寄り、うな垂れる蒼の肩にそっと手を置いた。
「そうだぞ…大きいばかりが能ではない。儂は小振りなほうが好きだ。」
……………。
湧き上がる違和感。
『何故、女湯に徹斎が…?』
疑問は理解へ、理解は殺意へと変わり。
「うわらばっ!!??」
玲於奈のグラインドアッパーで打ち上げられた徹斎の身体を、三人の放った桶がミサイルの如く次々と捕らえた。
―残り香―
「温泉玉子なんて初めてですわ。お土産にも買っていきましょう」
浴衣姿の双葉が購買で出来立ての温泉玉子に目を光らせる。
同じくして温泉饅頭を購入した那由もそれを見つけ、百円玉を店員に手渡すや否や早速頬張った。
とろける黄身が醤油と絡み合って口の中に広がり、至福の表情が自然に浮かんだ。
ふと、那由は向けられたもの欲しげな視線に気付く。
「…わたし…その卵、食べたいよう…。」
涙目で上目遣いの羽音。
那由は直感的に気付く、罠だと。
財布の中身を参照し、先の買い物でもう残り少ないことを確認する。
葛藤。
ここで男らしく奢(おご)り借しを作っておくべきか、それとも断りその後に待ち受けるリスクに身を委ねるか。
答えは案外早く出る。
「…くッ…。」
那由は零れ落ちそうになる涙を堪え、店員になけなしの百円玉を震える手で差し出した。
エアホッケーカイザー。
その称号を欲しいままに、ゲームコーナーに仁王立ちした玲於奈は挑んでくる客達を次々と薙ぎ倒す。
「さあ、次はこいつから殴っていいの?」
終に挑戦者を全て打ち下し、栄えあるエアホッケーチャンプのベルトを手にした玲於奈を暖かな拍手が包み込んだ。
「斬刑に処す…」
「…暗黒翡翠流…御奉仕推奨波っ!!」
一方、格闘ゲームコーナー。
対面に座った志貴と蒼、液晶画面に表示される分身にコマンドを叩き込む。
その動きは双方もはや常人の域を優に凌駕しており、アーケードゲーム端末のスペックが悲鳴をあげていた。
一勝一敗で迎えたファイナルラウンド、身軽な動きと一撃の威力が売りの男性キャラを操作する志貴に対し、コンボが入れば大ダメージを狙える女性メイドを操る蒼。
互いに一歩も退かぬ激戦の末、同じリーチで弱攻撃が迫る。
「「…!!」」
DrawGame.
双方耳かき一杯ほどだったHPゲージが削られ、互いのキャラが倒れたのは同時だった。
「…。」
「…。」
画面越しににらみ合う二人。
しかし、そこにはどこか友情に近いものが芽生えていた。
再びゲーム機に硬化を投入する。
その戦いの結果がどうなったのか、否、どうなったとしても、互いに悔いは無かっただろう。
―疑問―
ミシェルは五階の一角に足を運んだ。
『旬悦の間』
木製の看板がかけられた部屋の向こう側、喫煙スペース。
木が腐らないようワックスのかけられた床、設置された椅子と机、その上に乗るガラスの灰皿…。
見渡す限りでは変わったところも、ゴーストの気配も感じ取れない。
少し変わったところといえば、旬悦の間のドアから喫煙スペースまで少しばかり距離があることか。
ミシェルは椅子を踏み台にして窓を開け放つ。
「どうだ、妙なところはあったか…?」
下から旅館の外観を眺める徹斎が窓から顔を出したミシェルを見つけた。
「いえ、特には。」
そう返したミシェルに、夕焼けの下拝は含み笑いを浮かべる。
「こちらは随分変わったところを見つけたぞ…?」
ミシェルは疑問符を浮かべて首をかしげる。
「右手の壁を叩いてみろ。」
言われたとおり、ミシェルは椅子を降りて旬悦の間に隣り合う壁を叩いてみる。
とーん、とーん。
「…?!」
音が響く、まるで、その先に空間が存在するように。
「そういうことだ…。」
ミシェルが疑問を確信に近づけ、壁を強く押そうとしたその時。
「夕食の準備が出来ましたよ。」
階段から女将が顔を出し、ミシェルは壁を怪訝に睨みながらも女将の後を追った。
―各々の時間―
きゅ♪きゅ♪きゅ♪
梅庵の間、楽しげに羽音が音を走らせる。
闇に浮かび上がるダークサイドスマイル。
「せんぱーいっ、起きて下さい。起きなきゃそのまま永眠させてあげます。」
「…?!」
布団を跳ねのけ、鼻提灯(ちょうちん)を膨らましていた那由が飛び起きる。
………。
目の前にある鏡台、そこに写るは。
凛々しい眉、太く誇らしい口ひげ。
『男爵』
そう呼ぶに相応しく落書きされた自らの顔が写し出されていた。
「…なんじゃコリャぁぁぁーーーー!?」
羽音が何かをやり遂げた顔つきで、油性マジックを鞘に治めた。
「あら、また私が大富豪ですのね。」
旬悦の間。
トランプで大貧民を楽しんでいた三人だが、終盤に差し掛かり双葉の魔の手が伸びる。
単純にゲームを楽しんでカードを出す飛と玲於奈だったが、二人の出方を見切った瞬間、知略的戦略展開を図っていた双葉が大富豪を占有し始めた。
「くぅ〜〜〜…!」
怒りとも何とも取れないやりきれない感情のあまり、玲於奈の拳の中でぐしゃりとプラスチックカードが断末魔をあげた。
「ふぅ…」
昼間の決闘に当てられて、持参した小型ゲーム機に少々熱が入りすぎたか。
桜花の間で一人ボタンを叩いていた蒼は、疲労の表情を浮かべて雪月の間の前を通りがかる。
「うっ…。」
突如として襲い掛かる異臭。
バス内で味わった白煙の香り、焼き鳥など抓みの香り…。
そして、アルコール染みた到底少年少女が口にするものとは思えない芳香臭。
蒼は音を立てないようそっと聞き耳を立てる。
「お前とじゃないと、安心して飲めないからな」
「ああ、他の者と同じ部屋になった折には、女飲打の全てを封じられると覚悟していたが…。」
室内から二人の喉越しの音が響く。
「それにしても…。」
「…気付いたか。」
………!!
雪月の間の襖(ふすま)が開け放たれる。
「盗み聞きとは関心せんな…。」
両者の鋭敏感覚は蒼を捉えていた。
「トイレ、行って来る…。」
言い残して、彼女は脱兎の如く走り抜けた。
―門番―
春とは言え、夜はまだ冷える。
トランプに疲れ、床に入りながらも眠気を討ち退けていた。
しかし旅の疲れか、旬悦の間の三人は睡魔に瞼を落としかけていた。
『とん、とん、とん…』
「………?!」
聞き間違えか、最初はそう思えるほど小さな音だった。
『どんどんどんどん…!』
否、壁を叩く音。
確信した三人をカフェインより数倍の覚醒感が起き上がらせ、三人は部屋を飛び出した。
三人に呼び出され、同階の桜花の間、梅庵の間から那由、羽音、蒼が飛び出した。
洗い流せなかったのか、那由の顔には薄らと男爵の面影が残る。
玲於奈、飛、那由が前列に立ち、その後ろに蒼と双葉が控え、音の根源へと向かう。
喫煙スペース。
蛍光灯の明かりが心許無く灰皿を照らし、夕食前に見たとおり、それ以外には何も見当たらない。
『どんどんどんどん…!』
………!!
右手の壁から響く音と同時に、双葉は背後に気配を感じる。
能力者たちが振り向くと、そこに巨体の男―筋骨隆々として金棒を掲げた地縛霊が立ちふさがっていた!
転じて、後列が前列に、双葉と蒼が前列に立ち、玲於奈と飛、そして那由が後衛につく形となった。
狭い廊下では、隊列の変更が容易ではない。
地縛霊の太い腕が金棒を振り上げ、双葉を目掛けて振り落とされる…!
…と。
「成仏してください〜!」
廊下を挟んだ旬悦の間の隣の物置に潜んでいたミシェルが飛び出し、腕を振りかざす地縛霊の背中に雷の魔弾を撃ち込んだ。
死人の腕が止まる、その背には魔弾によって焼け焦げた痕。
…ゆっくりと振り返る彼の眼には、憤怒と怨恨が燃えていた。
「おおおぉぉぉぉおぉーーーー!!」
獣蟲の咆哮を響かせ翻し、その巨体からは想像もつかない素早さでミシェルに突進する。
ミシェルは後ろに飛び退くが、金棒の軌道は確実に彼を捉えていた。
………!
魔道書から放たれる魔力を盾に金棒を受け止めるも、ミシェルの小さな身体はその反発で逆側の廊下の端まで吹き飛ばされる。
「ミシェル…!」
蒼は地縛霊に出来た隙を見逃さない。
的も大きく逃げ場もない、今なら確実に当てれるはずだ。
蒼が炎の魔弾を形成し、那由と双葉が白燐奏甲でその威力を強化する。
「落ちろ…!」
詠唱銃の先端に形成された魔弾は弾発と共に一閃し、白燐奏甲の白炎を纏い地縛霊の背中を撃ち抜く…
…かと思われた次の瞬間、その軌道に死人の左手が割り込んで受け止め、魔弾を鉄屑の様に握りつぶした。
「おぉ…。」
二度と同じ手は食わない、奴らも学習するということか。
少しでも隙を見せれば奴は振り向きざまに突撃してくるだろう、前後の隊列交換は出来そうにない。
自分が前列に出れさえすれば…!
玲於奈の握り締めたスクエアリボルバーが軋む。
どん…!!
唐突に、旬悦の間の壁が砕け散る。
まさか、ゴーストは一匹ではなかったのか…?!
…立ち込める土煙と瓦礫を掻き分け、姿を現したのは徹斎だった。
「空間がないのなら、作ればいいだろう…?」
壁が崩れ去った向こう側―そこには、旬悦の間という広い空間が口をあけていた。
「おぉおぉぉーーーー!!」
能力者たちに生じた一瞬の混乱に乗じ、地縛霊が巨体を走らせる。
金棒を振り上げ、その血走った目と形相は鬼にも見えた。
金棒が徹斎の頭上に達し、それが振り下ろされる…が、徹斎は身構えない。
………!!
瞬間、屋上からロープを垂らした志貴が喫煙所の窓を外側から蹴破る。
振り子のように飛び入った反動を殺さず、そのまま能力者たちの頭上を飛び越えて地縛霊を蹴り飛ばし、旬悦の間内部へと転び込ませた。
地縛霊の転倒をつき、能力者たちは旬悦の間に駆け込んで隊列を立て直す。
那由、玲於奈、飛、志貴、徹斎が地縛霊をアーチ上に取り囲み、その後ろにミシェル、双葉、羽音が着く。
ミシェルの包み込むような歌声―ヒーリングヴォイス―が自らを始めとした戦闘の傷を癒す。
「いきますわ…!」
双葉の白燐奏甲が蒼の弾頭に白炎を付加する。
「おぉおぉ!!」
炎の魔弾が銃口から撃ち放たれるが、その軌道に合わせて地縛霊が横一文字に金棒を振り抜いた。
掻き消される…!
「飛…。」
「了解っす!」
バットを掲げてタイミングを計り、蒼の放った魔弾を上方に打ち上げる。
軌道が変化する。
地縛霊の振るった金棒をかわし、白き地獄の業火は彼の顔面を焼き尽くした。
その威力は致命的ではなかったが、目暗ましには十分すぎるほどの効果を発した。
能力者たちはその隙を見逃さない。
光を失った死人は金棒を四方八方無茶苦茶に振り回し、容易には近づけない。
…だがそれも、速度的な問題を除けばの話である。
「鬼だろうが蛇だろうが、全部ぶっ飛ばしてやるぜい!!」
玲於奈がインフィニティエアを身に纏い、瞬速の壁を超える。
壁を地面のように走り抜け、地縛霊の背後に回り込みその背にグラインドアッパーを打ち込む。
文字通り腰砕けによろけた男の股下、小さな影が走り抜けた。
「僕さー、自分勝手な理由で襲ってくるゴーストって……ほんと、大ッ嫌いなんだけど。」
的の小さいものにもまた、それを除いた話である。
猫変身を解除した羽音は地縛霊の後方、よろけた彼の脹脛(ふくらはぎ)を炎の魔弾が打ち抜き、再び死人は転倒する。
「何があったか知らねーが、温泉仲間を傷つける奴ァ許さネェ!」
那由のキーボードの音響は音波の衝撃と化し、地縛霊の身体を貫く。
ミシェルの雷の魔弾も音色を奏でる音符のように撃ち放たれ、同時に男の腹部を焼いた。
「おぉ…!」
地縛霊の視力は次第に回復しているらしい。
血走る眼球を見開いて、後方に接近した玲於奈と羽音を金棒で薙ぎ払い壁に叩きつける。
そして彼は巨大な身体をゆっくりと起き上がらせ、金棒を両手掴みにして振り上げる。
素早く、たった一歩のステップで前衛に立つ飛、那由との距離を縮めると、大根切りに天井を抉(えぐ)りながら金棒を走らせた。
「…その金棒、大体同じ長さだな。」
二人の前方に割り込み、徹斎が破城刀で一撃を受け止める。
踏み締めた畳に徹斎の足がめり込んだ。
「斬刑に処す…その六銭、無用と思へ…。」
飛び上がり、天井に逆さに立つように張り付いた志貴の短刀「七夜」とMahne[メーネ]が魔弾の炎を纏う。
「お前が逝くのは地獄…金なんて無用だろう?」
放った雌雄一対の剣は地縛霊の両の腕に突き立ち、それに動作という行動を忘却させた。
「何が理由かは存じませんが、温泉宿の平和を乱すなんて見過ごすわけには参りません。……覚悟!」
動きを封じられた地縛霊に、双葉の身体から放出された光の十字架が彼を包み込む。
浄化の閃光がおさめられた跡、焼き尽くされたようにその巨大な影だけが煤となって畳みに散らばっていた。
―月を仰いだ日―
………!!
徹斎の破城刀が壁を斬り崩す。
旬悦の間の隣に現れたのは、埃が覆った古風な一室だった。
いつの時代からその存在が忘れられていたのだろう。
積み上げられた布団は綻び、扉にかけられた南京錠は錆びに覆われている。
おそらく、ミシェルが気付いた壁の向こう側の空間は、この扉の向こう側に繋がっているのだろう。
…!
部屋の内装を見渡した能力者たちの視界に、突如として六人の鎖につながれた女性が姿を現す。
着物に身を包み、顔から胸元にかけて白粉(おしろい)を塗っている。
『…ありがとう…』
擦れる様な声で呟いたように聞こえた。
気付くと、そこに彼女たちの姿はもうなかった。
がしゃり、永い時を束縛してきた南京錠が錆び落ちた。
―浮世―
春は曙、夜の冷え込みは何処へやら。
差し込む朗らかな陽光は一行に降り注いだ。
「主人に話を伺ったのだが、明治時代遊郭だった建物を改装したのがこの旅館らしい。」
雪月の間に全員を呼び寄せた徹斎は、指に挟んだ吸い物から灰を落とす。
「花魁より格の低い遊女は、逃げ出さぬよう監禁していた事も事実らしい…門番付でな。」
あの地縛霊は、当時の門番の成れの果てだったのだろうか。
彼に監視され、あの六人の女性は―格の低い遊女たちは窓もない息詰まるような部屋で閉じ込められ続けていた。
あの夜、遊女たちは一片も欠けることのない月を仰げただろうか。
もし出来たのならば、それが唯一の救いとなっただろう。
「ところで、テッチャン先輩には今回も助けられたっすね。」
「ああ、団員を死なせないのも、結社長の仕事だからな。」
……………。
徹斎の屈託のない微笑に、どこか違和感を感じる。
否、それは疑問。
徹斎は旬悦の間の壁を内側から破壊した。
『いつから中に…?』
ふと、机の上に置かれたデジタルカメラが双葉の目に止まる。
プレビューモードに切り替え、撮られた画像を参照すると…。
トランプをする玲於奈、飛、双葉の姿。
更に画像を切り替えると、浴衣から覗いた胸元やら太ももやらの明らかに如何わしいフォト集。
……………。
疑問は理解へ、理解は殺意へと変わる。
「な、成瀬殿、これはちがっ…ちょ…まっ!!」
………!!
誰が放ったのか分からない、むしろその全員からだったのかも知れない。
女性陣からの鉄槌を受け、拝の身体が五階の窓を突き破って空中に躍り出た。
『…ありがとう…』
桜の木の下に一瞬見えた六人の女性は錯覚か。
葉の覆う桜の最後の花弁が、ひらりと地面に舞い降りた。
花は散り葉桜となり、次第に夏の足音が聞こえ始めた温風が彼らを撫ぜる。
「おーし、今日は遊ぶぞー」
降り注ぐ陽光に、拝・玲於奈(ボク暴君・b02480)の握り締めた拳が高らかに掲げられた。
「『温泉旅館で謎の死』って、推理小説みたいですね〜。」
朗らかな陽射しを掌で遮ったミシェル・ローデリック(がんばる小学生・b03554)の顔も、幾分楽しげだ。
「幼稚園のお泊り会を思い出しますわね」
成瀬・双葉(小学生白燐蟲使い・b20530)は吹き来る過去の風に髪を流し、柔らかに、そしてどこか切なそうな表情で懐かしんでいた。
ブロロロロロロ……。
腹に響く特有のエンジン音と共に、貸切のマイクロバスが近付く。
その先に待ち受ける歓楽と驚異、そして彼らの座席を乗せて…。
―移動―
各々の大小不揃いな荷物をトランクに詰め込むと、マイクロバスは能力者たちを乗せ温泉旅館『月雲閣』への旅路を進む。
「…うぷっ…」
マイクロバスに揺られて早一時間、如月・那由(唯一つだけを愛す闇の詩人・b00564)は青ざめた表情で、額からは嫌な汗が流れていた。
「ふぅ…」
その一因として、黒夜・志貴(殺人鬼・b00375)と拝・徹斎雪影(影に罪を雪に償いを・b00601)の座る後方から漂い迫る大量の白煙があったことは言うまでもないだろう。
志貴の吹く独特の清涼臭と、徹斎の垂れ流す甘みのある香りが混ざり合い、開け放たれた窓からは火の手が上がっているかの如く煙が排出されている。
「ぐがががががが!ずび…ずぴー…ギリギリ…!」
盛大に打ち上げられる龍田・飛(飛天の臥龍玉・b16875)の大いびきは、那由の不快感に拍車をかける。
湧き上がる何か、しかしここで吐き出すわけにはいかない…!
強い意志と共に口元をしっかりと押さえ、彼は到着までの長い道のりを耐える。
「ん〜…ワレ奇襲ニ成功セリ…トラトラ…ヌコ…」
「…ヌコ!!?」
飛が突如として放った謎の寝言に、隣に座る龍田・蒼(蒼穹の龍炎・b14352)は無意識にツッコんでいた。
『月雲閣』まであと十分程度、退屈のなか軽くエコノミー症候群になりかけていた玲於奈も救われることだろう。
目的地まであと九分…八分…七分…。
…ガクン!!
到着まであと五分をきった頃、マイクロバスの車体が大きく上下する。
『月雲閣』は風情漂う情景を背に備えた露天風呂を誇る、山の頂上付近に位置する旅館であった。
…ガクン!!
山道を駆け上がる車輪が跳ね上がる。
…限界だった。
………!!
設置されたビニール袋に、周りの情景とある意味で調和した滝が現れる。
那由の隣で静かな寝息を立てている椎紫・羽音(快楽主義者・b16682)の寝顔は、何故か黒く微笑んで。
彼の羞恥と後悔に輪をかけた。
―月雲閣―
「お待ちしておりました、ようこそ月雲閣へ。」
旅館に到着した能力者たちに出迎えた女将が深々と頭を下げる。
「久しいね、徹斎君。」
その後ろに控え笑顔を向けた小太りの男は、此処の主人だろうか。
互いに挨拶を交わすと、徹斎は彼に歩み寄り世間話を始めた。
それはもう、延々と…。
一行が退屈を持て余し始めたのを見兼ね、女将がこっそりと鍵を手渡す。
「長旅お疲れ様でした。あの二人のことはお気になさらず、先に部屋でお休みになってください。」
『桜花の間』、『梅庵の間』、『雪月の間』。
そう書かれた鍵をそれぞれ蒼と飛、那由と羽音とミシェル、志貴が受け取った。
そして最後に、女将が着物の袖からもう一つの鍵を取り出す。
『旬悦の間』
「皆さん、詳しいことは分かりませんが、どうか宜しくお願いしますね。」
玲於奈と双葉にそれを手渡し、女将はもう一度深々と一礼した。
―露天風呂♪―
「うお〜!凄い凄い!!温泉っすよ!!」
飛が巨大な岩風呂とその背景に広がる山々の絶景に高らかに詠った。
飛に続いて蒼、双葉、玲於奈も湯煙の中から姿を現し、艶やかな肌にかけ湯を流すと静かな水音を立てて湯に浸った。
女将の勧めもあり早速温泉に向かった能力者たちであるが、何より探索をそっちのけでこちらに向かった背景。
『美肌効果』
その女将の一言が女性陣の心を強く動かした。
「…お肌、綺麗に…なる…。」
柔らかな芳香が湧く湯を手ですくい、肩から胸元にかけて流す蒼はこの日最初の微笑みを浮かべた。
敷居の向こう側、男湯でも面々は身に沁みる湯に旅の疲れを癒していた。
「良い湯だナァ♪」
口元まで深く浸かり水面にぶくぶくと泡を浮かべる那由は、マイクロバスでの醜態から心身ともに立ち直っていた。
「ぼく温泉旅館でお泊りってはじめてです。」
小さな身体を湯に埋(うず)めるミシェルも随分満足そうだ。
…ところで、男湯にはこの二人しか入っていない。
二人は心なしか寂しさを感じていた。
黒夜は温泉に向かう一行に「俺は昼にやかましく風呂に入るのは苦手だ」と言い残し、部屋に戻ったのだが。
羽音と徹斎は行方知れずだ。
確か、温泉に向かうためロビーを抜けたときまでは一緒だったのだが。
疑問を抱えつつも、那由とミシェルは心地よい硫黄の香りに身を包んだ。
所変わって男湯の暖簾(のれん)が下がる手前。
「お客様困ります!こちらは男湯で…」
羽音は若い女中に引き止められていた。
「…えー、僕ですかぁ?ふふっ、僕、男ですからーっ。…なんなら確かめます…?」
彼女の目に少女のような容姿をもった羽音は、男として写らなかった。
信じて疑わない女中に痺れを切らし、羽音は彼女の手を取り自らの股に持っていく。
「………。」
「ねっ♪」
女中は目を白黒させた後。
「お………怖ろしい子っ!!」
何処かで聞いたような台詞を吐き捨て、脱兎の如く逃げ去った。
所は戻り、女湯。
蒼の半開きの目は三点を行き来していた。
「姉貴、どうかしたんすか?」
妹の声は届かず、蒼の視線はくるくると円を描いて泳ぐ。
玲於奈の胸、飛の胸…そして自らの胸。
大、大、小。
蒼の小さな胸の内、やりきれない劣等感が湧き上がっていた。
飛は姉を苛(さいな)む感情に気付いたか。
「姉貴は貧弱っす♪」
「…!!」
妹の放った一言。
今の蒼にとって、それは『貧乳』としか聞こえなかった。
眼の内に怒りの炎が燈り、素早く指を組み合わせると水鉄砲で飛を攻撃する。
「うわっ」
襲いくる水圧は(蒼に比較して)豊かな胸元に弾かれ、蒼の心の傷は一層深まった。
「元気を出して下さい、女性は胸の大きさだけではありませんわ。」
「双葉ちゃん…。」
双葉が湯をかき分けて歩み寄り、うな垂れる蒼の肩にそっと手を置いた。
「そうだぞ…大きいばかりが能ではない。儂は小振りなほうが好きだ。」
……………。
湧き上がる違和感。
『何故、女湯に徹斎が…?』
疑問は理解へ、理解は殺意へと変わり。
「うわらばっ!!??」
玲於奈のグラインドアッパーで打ち上げられた徹斎の身体を、三人の放った桶がミサイルの如く次々と捕らえた。
―残り香―
「温泉玉子なんて初めてですわ。お土産にも買っていきましょう」
浴衣姿の双葉が購買で出来立ての温泉玉子に目を光らせる。
同じくして温泉饅頭を購入した那由もそれを見つけ、百円玉を店員に手渡すや否や早速頬張った。
とろける黄身が醤油と絡み合って口の中に広がり、至福の表情が自然に浮かんだ。
ふと、那由は向けられたもの欲しげな視線に気付く。
「…わたし…その卵、食べたいよう…。」
涙目で上目遣いの羽音。
那由は直感的に気付く、罠だと。
財布の中身を参照し、先の買い物でもう残り少ないことを確認する。
葛藤。
ここで男らしく奢(おご)り借しを作っておくべきか、それとも断りその後に待ち受けるリスクに身を委ねるか。
答えは案外早く出る。
「…くッ…。」
那由は零れ落ちそうになる涙を堪え、店員になけなしの百円玉を震える手で差し出した。
エアホッケーカイザー。
その称号を欲しいままに、ゲームコーナーに仁王立ちした玲於奈は挑んでくる客達を次々と薙ぎ倒す。
「さあ、次はこいつから殴っていいの?」
終に挑戦者を全て打ち下し、栄えあるエアホッケーチャンプのベルトを手にした玲於奈を暖かな拍手が包み込んだ。
「斬刑に処す…」
「…暗黒翡翠流…御奉仕推奨波っ!!」
一方、格闘ゲームコーナー。
対面に座った志貴と蒼、液晶画面に表示される分身にコマンドを叩き込む。
その動きは双方もはや常人の域を優に凌駕しており、アーケードゲーム端末のスペックが悲鳴をあげていた。
一勝一敗で迎えたファイナルラウンド、身軽な動きと一撃の威力が売りの男性キャラを操作する志貴に対し、コンボが入れば大ダメージを狙える女性メイドを操る蒼。
互いに一歩も退かぬ激戦の末、同じリーチで弱攻撃が迫る。
「「…!!」」
DrawGame.
双方耳かき一杯ほどだったHPゲージが削られ、互いのキャラが倒れたのは同時だった。
「…。」
「…。」
画面越しににらみ合う二人。
しかし、そこにはどこか友情に近いものが芽生えていた。
再びゲーム機に硬化を投入する。
その戦いの結果がどうなったのか、否、どうなったとしても、互いに悔いは無かっただろう。
―疑問―
ミシェルは五階の一角に足を運んだ。
『旬悦の間』
木製の看板がかけられた部屋の向こう側、喫煙スペース。
木が腐らないようワックスのかけられた床、設置された椅子と机、その上に乗るガラスの灰皿…。
見渡す限りでは変わったところも、ゴーストの気配も感じ取れない。
少し変わったところといえば、旬悦の間のドアから喫煙スペースまで少しばかり距離があることか。
ミシェルは椅子を踏み台にして窓を開け放つ。
「どうだ、妙なところはあったか…?」
下から旅館の外観を眺める徹斎が窓から顔を出したミシェルを見つけた。
「いえ、特には。」
そう返したミシェルに、夕焼けの下拝は含み笑いを浮かべる。
「こちらは随分変わったところを見つけたぞ…?」
ミシェルは疑問符を浮かべて首をかしげる。
「右手の壁を叩いてみろ。」
言われたとおり、ミシェルは椅子を降りて旬悦の間に隣り合う壁を叩いてみる。
とーん、とーん。
「…?!」
音が響く、まるで、その先に空間が存在するように。
「そういうことだ…。」
ミシェルが疑問を確信に近づけ、壁を強く押そうとしたその時。
「夕食の準備が出来ましたよ。」
階段から女将が顔を出し、ミシェルは壁を怪訝に睨みながらも女将の後を追った。
―各々の時間―
きゅ♪きゅ♪きゅ♪
梅庵の間、楽しげに羽音が音を走らせる。
闇に浮かび上がるダークサイドスマイル。
「せんぱーいっ、起きて下さい。起きなきゃそのまま永眠させてあげます。」
「…?!」
布団を跳ねのけ、鼻提灯(ちょうちん)を膨らましていた那由が飛び起きる。
………。
目の前にある鏡台、そこに写るは。
凛々しい眉、太く誇らしい口ひげ。
『男爵』
そう呼ぶに相応しく落書きされた自らの顔が写し出されていた。
「…なんじゃコリャぁぁぁーーーー!?」
羽音が何かをやり遂げた顔つきで、油性マジックを鞘に治めた。
「あら、また私が大富豪ですのね。」
旬悦の間。
トランプで大貧民を楽しんでいた三人だが、終盤に差し掛かり双葉の魔の手が伸びる。
単純にゲームを楽しんでカードを出す飛と玲於奈だったが、二人の出方を見切った瞬間、知略的戦略展開を図っていた双葉が大富豪を占有し始めた。
「くぅ〜〜〜…!」
怒りとも何とも取れないやりきれない感情のあまり、玲於奈の拳の中でぐしゃりとプラスチックカードが断末魔をあげた。
「ふぅ…」
昼間の決闘に当てられて、持参した小型ゲーム機に少々熱が入りすぎたか。
桜花の間で一人ボタンを叩いていた蒼は、疲労の表情を浮かべて雪月の間の前を通りがかる。
「うっ…。」
突如として襲い掛かる異臭。
バス内で味わった白煙の香り、焼き鳥など抓みの香り…。
そして、アルコール染みた到底少年少女が口にするものとは思えない芳香臭。
蒼は音を立てないようそっと聞き耳を立てる。
「お前とじゃないと、安心して飲めないからな」
「ああ、他の者と同じ部屋になった折には、女飲打の全てを封じられると覚悟していたが…。」
室内から二人の喉越しの音が響く。
「それにしても…。」
「…気付いたか。」
………!!
雪月の間の襖(ふすま)が開け放たれる。
「盗み聞きとは関心せんな…。」
両者の鋭敏感覚は蒼を捉えていた。
「トイレ、行って来る…。」
言い残して、彼女は脱兎の如く走り抜けた。
―門番―
春とは言え、夜はまだ冷える。
トランプに疲れ、床に入りながらも眠気を討ち退けていた。
しかし旅の疲れか、旬悦の間の三人は睡魔に瞼を落としかけていた。
『とん、とん、とん…』
「………?!」
聞き間違えか、最初はそう思えるほど小さな音だった。
『どんどんどんどん…!』
否、壁を叩く音。
確信した三人をカフェインより数倍の覚醒感が起き上がらせ、三人は部屋を飛び出した。
三人に呼び出され、同階の桜花の間、梅庵の間から那由、羽音、蒼が飛び出した。
洗い流せなかったのか、那由の顔には薄らと男爵の面影が残る。
玲於奈、飛、那由が前列に立ち、その後ろに蒼と双葉が控え、音の根源へと向かう。
喫煙スペース。
蛍光灯の明かりが心許無く灰皿を照らし、夕食前に見たとおり、それ以外には何も見当たらない。
『どんどんどんどん…!』
………!!
右手の壁から響く音と同時に、双葉は背後に気配を感じる。
能力者たちが振り向くと、そこに巨体の男―筋骨隆々として金棒を掲げた地縛霊が立ちふさがっていた!
転じて、後列が前列に、双葉と蒼が前列に立ち、玲於奈と飛、そして那由が後衛につく形となった。
狭い廊下では、隊列の変更が容易ではない。
地縛霊の太い腕が金棒を振り上げ、双葉を目掛けて振り落とされる…!
…と。
「成仏してください〜!」
廊下を挟んだ旬悦の間の隣の物置に潜んでいたミシェルが飛び出し、腕を振りかざす地縛霊の背中に雷の魔弾を撃ち込んだ。
死人の腕が止まる、その背には魔弾によって焼け焦げた痕。
…ゆっくりと振り返る彼の眼には、憤怒と怨恨が燃えていた。
「おおおぉぉぉぉおぉーーーー!!」
獣蟲の咆哮を響かせ翻し、その巨体からは想像もつかない素早さでミシェルに突進する。
ミシェルは後ろに飛び退くが、金棒の軌道は確実に彼を捉えていた。
………!
魔道書から放たれる魔力を盾に金棒を受け止めるも、ミシェルの小さな身体はその反発で逆側の廊下の端まで吹き飛ばされる。
「ミシェル…!」
蒼は地縛霊に出来た隙を見逃さない。
的も大きく逃げ場もない、今なら確実に当てれるはずだ。
蒼が炎の魔弾を形成し、那由と双葉が白燐奏甲でその威力を強化する。
「落ちろ…!」
詠唱銃の先端に形成された魔弾は弾発と共に一閃し、白燐奏甲の白炎を纏い地縛霊の背中を撃ち抜く…
…かと思われた次の瞬間、その軌道に死人の左手が割り込んで受け止め、魔弾を鉄屑の様に握りつぶした。
「おぉ…。」
二度と同じ手は食わない、奴らも学習するということか。
少しでも隙を見せれば奴は振り向きざまに突撃してくるだろう、前後の隊列交換は出来そうにない。
自分が前列に出れさえすれば…!
玲於奈の握り締めたスクエアリボルバーが軋む。
どん…!!
唐突に、旬悦の間の壁が砕け散る。
まさか、ゴーストは一匹ではなかったのか…?!
…立ち込める土煙と瓦礫を掻き分け、姿を現したのは徹斎だった。
「空間がないのなら、作ればいいだろう…?」
壁が崩れ去った向こう側―そこには、旬悦の間という広い空間が口をあけていた。
「おぉおぉぉーーーー!!」
能力者たちに生じた一瞬の混乱に乗じ、地縛霊が巨体を走らせる。
金棒を振り上げ、その血走った目と形相は鬼にも見えた。
金棒が徹斎の頭上に達し、それが振り下ろされる…が、徹斎は身構えない。
………!!
瞬間、屋上からロープを垂らした志貴が喫煙所の窓を外側から蹴破る。
振り子のように飛び入った反動を殺さず、そのまま能力者たちの頭上を飛び越えて地縛霊を蹴り飛ばし、旬悦の間内部へと転び込ませた。
地縛霊の転倒をつき、能力者たちは旬悦の間に駆け込んで隊列を立て直す。
那由、玲於奈、飛、志貴、徹斎が地縛霊をアーチ上に取り囲み、その後ろにミシェル、双葉、羽音が着く。
ミシェルの包み込むような歌声―ヒーリングヴォイス―が自らを始めとした戦闘の傷を癒す。
「いきますわ…!」
双葉の白燐奏甲が蒼の弾頭に白炎を付加する。
「おぉおぉ!!」
炎の魔弾が銃口から撃ち放たれるが、その軌道に合わせて地縛霊が横一文字に金棒を振り抜いた。
掻き消される…!
「飛…。」
「了解っす!」
バットを掲げてタイミングを計り、蒼の放った魔弾を上方に打ち上げる。
軌道が変化する。
地縛霊の振るった金棒をかわし、白き地獄の業火は彼の顔面を焼き尽くした。
その威力は致命的ではなかったが、目暗ましには十分すぎるほどの効果を発した。
能力者たちはその隙を見逃さない。
光を失った死人は金棒を四方八方無茶苦茶に振り回し、容易には近づけない。
…だがそれも、速度的な問題を除けばの話である。
「鬼だろうが蛇だろうが、全部ぶっ飛ばしてやるぜい!!」
玲於奈がインフィニティエアを身に纏い、瞬速の壁を超える。
壁を地面のように走り抜け、地縛霊の背後に回り込みその背にグラインドアッパーを打ち込む。
文字通り腰砕けによろけた男の股下、小さな影が走り抜けた。
「僕さー、自分勝手な理由で襲ってくるゴーストって……ほんと、大ッ嫌いなんだけど。」
的の小さいものにもまた、それを除いた話である。
猫変身を解除した羽音は地縛霊の後方、よろけた彼の脹脛(ふくらはぎ)を炎の魔弾が打ち抜き、再び死人は転倒する。
「何があったか知らねーが、温泉仲間を傷つける奴ァ許さネェ!」
那由のキーボードの音響は音波の衝撃と化し、地縛霊の身体を貫く。
ミシェルの雷の魔弾も音色を奏でる音符のように撃ち放たれ、同時に男の腹部を焼いた。
「おぉ…!」
地縛霊の視力は次第に回復しているらしい。
血走る眼球を見開いて、後方に接近した玲於奈と羽音を金棒で薙ぎ払い壁に叩きつける。
そして彼は巨大な身体をゆっくりと起き上がらせ、金棒を両手掴みにして振り上げる。
素早く、たった一歩のステップで前衛に立つ飛、那由との距離を縮めると、大根切りに天井を抉(えぐ)りながら金棒を走らせた。
「…その金棒、大体同じ長さだな。」
二人の前方に割り込み、徹斎が破城刀で一撃を受け止める。
踏み締めた畳に徹斎の足がめり込んだ。
「斬刑に処す…その六銭、無用と思へ…。」
飛び上がり、天井に逆さに立つように張り付いた志貴の短刀「七夜」とMahne[メーネ]が魔弾の炎を纏う。
「お前が逝くのは地獄…金なんて無用だろう?」
放った雌雄一対の剣は地縛霊の両の腕に突き立ち、それに動作という行動を忘却させた。
「何が理由かは存じませんが、温泉宿の平和を乱すなんて見過ごすわけには参りません。……覚悟!」
動きを封じられた地縛霊に、双葉の身体から放出された光の十字架が彼を包み込む。
浄化の閃光がおさめられた跡、焼き尽くされたようにその巨大な影だけが煤となって畳みに散らばっていた。
―月を仰いだ日―
………!!
徹斎の破城刀が壁を斬り崩す。
旬悦の間の隣に現れたのは、埃が覆った古風な一室だった。
いつの時代からその存在が忘れられていたのだろう。
積み上げられた布団は綻び、扉にかけられた南京錠は錆びに覆われている。
おそらく、ミシェルが気付いた壁の向こう側の空間は、この扉の向こう側に繋がっているのだろう。
…!
部屋の内装を見渡した能力者たちの視界に、突如として六人の鎖につながれた女性が姿を現す。
着物に身を包み、顔から胸元にかけて白粉(おしろい)を塗っている。
『…ありがとう…』
擦れる様な声で呟いたように聞こえた。
気付くと、そこに彼女たちの姿はもうなかった。
がしゃり、永い時を束縛してきた南京錠が錆び落ちた。
―浮世―
春は曙、夜の冷え込みは何処へやら。
差し込む朗らかな陽光は一行に降り注いだ。
「主人に話を伺ったのだが、明治時代遊郭だった建物を改装したのがこの旅館らしい。」
雪月の間に全員を呼び寄せた徹斎は、指に挟んだ吸い物から灰を落とす。
「花魁より格の低い遊女は、逃げ出さぬよう監禁していた事も事実らしい…門番付でな。」
あの地縛霊は、当時の門番の成れの果てだったのだろうか。
彼に監視され、あの六人の女性は―格の低い遊女たちは窓もない息詰まるような部屋で閉じ込められ続けていた。
あの夜、遊女たちは一片も欠けることのない月を仰げただろうか。
もし出来たのならば、それが唯一の救いとなっただろう。
「ところで、テッチャン先輩には今回も助けられたっすね。」
「ああ、団員を死なせないのも、結社長の仕事だからな。」
……………。
徹斎の屈託のない微笑に、どこか違和感を感じる。
否、それは疑問。
徹斎は旬悦の間の壁を内側から破壊した。
『いつから中に…?』
ふと、机の上に置かれたデジタルカメラが双葉の目に止まる。
プレビューモードに切り替え、撮られた画像を参照すると…。
トランプをする玲於奈、飛、双葉の姿。
更に画像を切り替えると、浴衣から覗いた胸元やら太ももやらの明らかに如何わしいフォト集。
……………。
疑問は理解へ、理解は殺意へと変わる。
「な、成瀬殿、これはちがっ…ちょ…まっ!!」
………!!
誰が放ったのか分からない、むしろその全員からだったのかも知れない。
女性陣からの鉄槌を受け、拝の身体が五階の窓を突き破って空中に躍り出た。
『…ありがとう…』
桜の木の下に一瞬見えた六人の女性は錯覚か。
葉の覆う桜の最後の花弁が、ひらりと地面に舞い降りた。